分子栄養学の始祖 三石巌先生との出会い
三石巌先生は、日本の分子栄養学の始祖です。
英語教室の教材 BBカードの勉強会で、ひとりの先生が、「栄養の大事さは、わかります。三石巌先生の本を読んだらわかりますよ!と言われて、その名前を紙に書いてもらいました。
その夜、家のパソコンで見つけた時は『日本の分子栄養学の始祖』と出会えた!と 飛び上がるほどに 嬉しかったことを覚えています。
どこにも、栄養の重要性が出ていない時期でしたから、心の底から嬉しかったです。今から、20年もっと前のことです。
『医学常識は、ウソだらけ!』という 驚く名前の本でした。早速、購入し、友人と勉強会をしたほどでした。
50冊位は、購入しましたね! みんなに読むといいよ!とシェアしました。
三石先生は、還暦 の年に白内障と診断され、医師に「見えなくなったら、また来てください」と言われたことから、 自分で治そうと決意されました。
物理学者であった三石先生は、「高タンパク質 高ビタミン ミネラルの栄養素を多量に摂ることで、病気が治ってしまうことを突き止めました。
たくさんの健康上で困った人を「高タンパク質 高ビタミン ミネラルの栄養素を多量に摂ることで、健康に導き、たくさんの書物も執筆されました。
ピンピンコロリの始祖
95歳まで、毎年 冬には、スキーを楽しまれるほどに元気でしたが、風邪をひいて 1週間寝込まれて亡くなったそうです。
それを PIN PIN KORORI の元祖でもあります。
はじまりは、白内障
還暦の時、白内障で、目が見えなくなったら…と言われたことから、医者を離れて、自分で治そうとされて、95歳まで、健康について執筆し、語ってこられたお話の声も コロナ禍にで見つけました。
ご高齢の声で、聴きずらかったですが、三石先生の本を熟読している私だから、スムーズに聞き取れたんだと思います。
コロナ禍の朝、三石巌先生の話を聴きながら、朝の散歩をしました。
三石先生が、白内障で失明すると言われることがなかったら、分子栄養学は、日本で これほどに広まることなく、私も 最善の健康を追求を成し遂げれなかったかもしれません。
眼鏡屋さんと眼医者さんを入ったマンションに住み、
野崎観音さんは、滋眼寺
脳から元氣快福ツールが手中に集まっています。
そして、目に働くサプリメントに手にする私は、みんなの視界を明るくする使命があることを感じます
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